どもも?!シバ兄です。
ニュージーランドに居る友人はすでにご存知かと思いますが、わたくし実はクリスチャンになりました。1年半前くらいから毎日曜日には教会に通っていたのですが、今年2月に洗礼式を受け、晴れてクリスチャンの仲間入りをしたことになります。
元々無神論者で頭のかたーい僕ですから、クリスチャンになるまでは聖書に書かれる非現実的な物語にいろいろツッコミを入れてはクリスチャンになることを拒んできました。
クリスチャンの思考を例えていうにこういう話があります。
ある日、1人のクリスチャンが交通事故に遭いましたが、奇跡的に無傷でした。この事を周りのクリスチャンと共に「神様の御業」と褒め称えました。
ある日、またそのクリスチャンが交通事故に遭いましたが、今度は足を複雑骨折してしまいました。しかし今回も周りのクリスチャンと共に「私は生かされている」と神を褒め称えました。
そしてある日、またそのクリスチャンが交通事故に遭い、今度は不幸にも命を落としてしまいました。それでも周りのクリスチャンは「神に召された」「意味のある死だ」と神を崇めました。
クリスチャン思想の根本というのは、どんなことに対しても神が介在し、それがどのようにあっても肯定されます。
それが無神論者には滑稽に映るかもしれないのですが、その実クリスチャンの多くは活き活きと日々の生活を送っています。
悩みや問題を抱えた人たちの話をよく聞き、そして助けるクリスチャン。
そんな彼らのサポートができればと、無神論者でありながら陰ながらサポートできればと思い、クリスチャンに交じっていろんな活動に参加してみました。
そのうちに
・今、科学で定説とされていることは必ずしも正しいと言えないこと
・聖書の真偽を科学的根拠にあてはめることは無意味に思えるし、そもそも自分の頭脳だけでそれらを解明するには完全に力不足であるということ
・もともと無神論者なので、クリスチャンになるリスクはほとんどないこと
・ご先祖様の霊的存在や超能力の類など、そもそも証拠や根拠のないことを信じているということは、信じるということはそういった証拠や根拠が必須でないこと
・幸せで満ち足りた人生を送りたいということ
みたいなことに気が付き、自分も神様を信じてみたいなぁっと思うようになりました。(ここまで考えを至らせるのに、また実際クリスチャンになるまでにも沢山の道のりがあったのですがそれはまた別の話で)
でもクリスチャンになったからといって、いきなり聖人のようになるわけではありません。正直自分の質というのはまだほとんど変わっていないと思います。そしていつかクリスチャンであることをやめる日が来るかもしれん(そんな日が来てほしいとは思いませんが)。
他のクリスチャンから見たらどう映るか判らない僕ですが、そんなゆっくりした歩みの中で少しずつ前に向かっていきたいなーっと思っています。
ちなみにホームページの改造ですが、まだ着手していません。全然企画段階なのでしばらくこのまま続けるかも・・・。
でわわ?。
なんだか不思議なようなごく当たり前のような不思議な感じがしました。
でもシバ兄のことだからほんとにいろいろ思うところがあっての洗礼なんでしょうね。
クリスチャンだからどうとか私もわからないけれど、
考え方一つで幸せになれるのならば、それもまたいいのではないかと思います。
お久しぶりです。
お元気そうでなによりです。
実は私もアメリカへ来て、教会の催しに参加することがあって、クリスチャンの考え方にちょっと刺激を受けてます。
・今、科学で定説とされていることは必ずしも正しいと言えないこと
この部分、特に進化について、日本にいるときは学校で習っていることが正しいと、間違いがないと信じきっていたのだけど、初めてそうとは限らないという考え方もあることを知って、衝撃でした。
科学者がそういっているが、、、という考え方。
本当に目からうろこでした。
アメリカに来て、そういう違う面から見れる視点が持てたことが一番の収穫かもしれません!
かじゅかじゅ>
クリスチャンだからどうかというと、それがまだあんまり変わってないと思う。考え方や思想の違いとかは徐々に出てくるものと思うけど、基本同じ人間ですからね。
良いこともすれば、たまに悪いとわかっていてもやっちゃう。だって人間だもの。
じゅんじゅん>
海外に出ていると今までとは全く価値観の違う人が沢山いますよね。僕もクリスチャンになるまで進化論と創造論はかなり情報を集めてみたんですけど、結局どれも自分の足で調べたわけではないし、そもそも偉い学者でも立証出来ないことを僕ができるなんてありえませんから。
そう思っていると、結局はどちらの論も、まだ多くの謎に包まれているんだなーっと思いました。世の中謎だらけなんだから、結局は何を信じるかなんだなと思いましたー。